くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

それはプルシャですか?

くんくんが会社に行く前にまた一つ問答。

 

「もしもあなたの能力を表す何かシンボルを考えるとしたら何?」

 

よく聞いていないと、つまり考え事などして話半分に聞かずに、

いないと、答えられない問答が殆どなので、大抵私は

 

え?もう1回言って。

 

と聞き返す羽目になる。

 

他の考え事をしていたので、適当に自分らしい感じで”花”かな、と答えた。

 

「ふうん、そうすると生命力とか成長とか、ってことか。」とくんくん。

 

ちょっと違うなと思ったので”香り”と付け加える。

 

くんくんは何かな?と聞くと、”目”だと言う。

 

「目的は見ることだから」

 

 

え!

 

もしかしてと、ちょっとそれは思い浮かんだけど、まさか。

 

プルシャですか?

 

早朝から結構なインパクトだ。

 

私がやっぱりそうか、やっぱりそうなのかーと騒いでいると、

 

「目は古代よりある強力なシンボルだと思うよ。

 

エジプトでもウジャの目、ホルスの目とかあるし。」

 

ウジャとホルスがなんなのか私は知らないけれど、改めてくんくんに聞いた。

 

くんくんはサーンキヤ哲学を知っているの?と。

 

すると

 

「それを学んだという人は聞いたことがある。」だって。

 

ここにもいますけどね。

 

「重要なのは今まで自分が見聞きしたことがどう自分に影響を与えたか。

 

今更学問など求めていないよ。

 

極端な話、漫画しか読んでこなかった人が真理に達することもある。

 

読み取るべき何かがあるのだから。

 

何を感じ、何を考えるか。

 

こっちの場合はまず結論ありきで、それが正しさを持つにはどうあるべきかを考えてる。

昔からものを考えて伝えて来た人達の中にはそういう人は多いと思うよ。

 

長い年月の中では否定されて来ているでしょう。

 

宗教にしろ、哲学にしろ。

 

思想というものが他人から否定されないと思う?

 

否定されたら正しい理由を考えるでしょう?

 

どうあれば正しくあれるか?

 

そういうことだと思うよ。

 

似た考えが多いのは。」

 

 

そうだろうね、そうだろうね。

 

真理は一つで、そこに行き着く方法はたくさんあって、

 

山の頂点に辿り着くのに、登る方向はいろいろで。

 

でも頂点で合うんだ、それぞれのやり方で登ってきて。

 

だからくんくんの言ってたことを誰かに話すと、

 

家にある哲学の本を読んだのでは?とか、

 

~の本を読んだのでは?

 

と言われることが多いけど、くんくんは中学生くらいから同じことを言っているし、

 

どんなことでも、根本はひとつでゆるがないので、誰かの受け売りではないのは

 

私が一番よく知っている。

 

 

いつも言っているのだ。

 

「大事なのはそのことによって自分が何を感じて、何を考えたか。」

 

「そのことが自分に何を与えたかで、そのこと自体が重要なのではない。」

 

本を読んだとしても、ネットで見たとしても、何かの思想を学んだとしても、

 

誰が何を言ったかではなく、それを知った自分がどうあるか。

 

その、自分で考えるという行為がないなら、それはただ人の話を聞いただけだし、

 

ネットサーフィンで時間をつぶしただけだし、

 

お金を払って知識を得ただけなんだろう。

 

 

上澄みだけすくっても到底真理には到達しないのはそこなのだ。

 

あまりに完全体に近いものが側にあると、

 

自分の未熟さを思い知ることが多い。

 

だから謙虚でいられるのだろうし、ありがたいことだ。

 

 

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