ないものをあるんじゃないかと探しても
「何も見ない、何も聞かないようにして自分の中に入っていくのと、
いろんなものを見て聞いて行くのと、どっちが真理に到達できると思う?」
非常にヨーギらしい問いかけである。
ヨーガ・スートラっぽく選んでみると、前者のような気もするが、
待てよ、正解はもとより、自分はやっぱり後者だな、と思う。
くんくんは言う。
「見ようとしてても、聞こうとしてても届いてもいない人が、
目を閉じて、耳を塞いだら、もっと遠くなる。」
なるほど、そうだ。
やっぱり最初は見て聞いて、知ることだ。
と、先日こんな話をしたなあと思ってもう一度くんくんに聞いてみると
「全く覚えていない」と言う。
じゃあ、同じ言葉じゃなくていいから、そのことについて思ってること
教えて、と言い直すと、
「その時に言いたい気分のことを言ってるだけだから、今はそうじゃない。」
と言う。
できるだけくんくんの言葉通りに、正確にここに残そうと思っているので
確認したかったのだけど、無理っぽい。
あきらめて他のことをしていると、くんくんが言ってきた。
「外界の情報をシャットアウトして、
ないものをないと捨てていっても自分の中にすべてはあるんだよ。」
「ないものを、あるんじゃないかと探しても、自分の中にすべてがある。」
先日言ってたこととちょっと違う?と一瞬思うかもしれないけど、
でも、そういうことだ。
気付きは自分の中で起るから。
青い鳥の話も同じようなことを言っている。
もともと知っていることにいつ気付くかなのかな?