ネモフィラの許し
ベランダのネモフィラがみんな太陽の方を向いて咲いているのを見ながら
くんくんと朝食をとっていた。
くんくんがネモフィラの語源を調べてくれて
ネモ:小さな森
フィラ:愛
から作られたと言った。
そして花言葉の中に”許し”というのがあったので、
何を許せばいいのかな?と呟いたら
「人の愚かさとか不完全さ」とくんくん。
「もう付き合いきれない、おまえたちなどどうでもいい、
とさじを投げた時に、怒りから解放されるんだよ。」
「怒っているうちはどこまでも人間なんだよ。
ある意味、悟りの道は諦めの道なのだと思う。」
お、ヨーガ哲学に近づいて来ました。
「考え方が内向きなのはそういうことなのだと思う。」
確かに確かに。
そうだ。
くんくんは続ける。
「あなたはネガティブだけど、人に希望を見いだせるタイプでしょう?
改善点をみつけようとするでしょう?」
はい、そうですね。
私がネクラなことはよく見抜いている。
決して明るい人間ではないし、一人で家で何かに没頭するのが大好きだ。
でも、人は好きだ。
そうでなかったらこの仕事はしていないし、続いていない。
「もう処置無しと思ったら、悟りの道を志すといいよ。
そこが最後の逃げ道だから。」
なるほど。
以前、「お母さんは悟るのには向いていない」
と言われたことがあるが、
---忘れたくないことがあるなら---
最後にその道をとっておけばいいな。
「だから年をとった人が悟るんでしょう。
なんとかしようと思ってやってきたけど、
無理だと悟る。
なんとかする体力も残っていないし。」
そこまではなんとかしようとあがくべし、なのかな。
そう言えば、といってくんくんがまた面白いことを言った。
「フィロは”愛する” だから
フィロソフィーは”地を愛する”ということだな。
ソフィアは地に由来する語源だから。」
そうか!
哲学は地を愛する、つまり自然を愛する学問なんだな。
くぅ~っ、くんくん、ありがとう。
キミの言葉の知識と考察は本当に私にとっては宝の山。
私がヨーガ哲学にひかれたのは、そういうことなのかもしれない。