くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

言葉というもの

言葉は何のためにあるんだと思う?

普通に言ったら”コミュニケーション”の為だろうけど。

 

くんくんに訊ねてみた。

というのも、言葉を使って人とコミュニケーションをとらない人がいるからだ。

 

「ある前提の元であれば、言葉は完全にコミュニケーションの為ではないと言い切れる。」

 

ちょっと待って。

ややこしいことはゆっくり一語ずつ考えないと意味がわからない母である。

 

私は”出来かねます”という言い方が苦手なのと一緒だ。

出来るの?出来ないの?どっちなの?

 

二重否定のようなのが瞬時にわからない脳である。

さて、

ある前提って?

 

「つまり、”何もない”という前提。」

 

「自分がここに存在しているという補償は何もない。」

「それならば言葉はコミュニケーションの為でないと言い切れる。」

 

ふふん。

なるほど。

 

じゃあ、逆に言葉を使ってコミュニケーションをしない人にとっては?

 

「それが自然だからだよ。」

 

その人にとって?

 

「そう」

話す代わりにじゃあ何か持っている?

 

「感じている。それで十分じゃないか。」

 

なるほど・・・

 

十分だ。

 

 

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12ヶ月くんくんの見解覆る

以前、くんくんの持論で「7月8月に時の権力者の名前を入れたから12ヶ月がずれた」という話を書いたと思う。

 

今日はそれを覆った時の朝の会話を。

 

最初は天体の話をしていたと思う。

 

土星までは五行なんだよ。

それ以降は日本語とリンクしているから、英語圏から来てる名前だと思う。」

 

水金地火木土天冥海 

だった?いつしか順番が入れ替わったからどっちがホントかわからなくなった。

 

はあはあ、なるほど、五行、ファイブエレメンツですね。

 

「Mars 火星。」

赤い色と戦争の火のイメージから”軍人マールス”の名をとったらしい。

 

Mayは豊穣の女神”マイア”。

5月の語源。

 

そんな風に我々の会話は広がっていく。

 

「じゃあ次はユーノーかな?」

June.

「だからユリウスが出てくるのか」

July.

「ローマやりたい放題だな・・・」

くんくんは一人納得する。

「古代ヨーロッパとはローマだったんだろうけど」

 

「アウグストス(初代皇帝)、しれっと二人余計なものが入っている。」

 

注)Augustのことを言っている。

 

「まだローマ建国の父ロームルスあたりが入ってた方が。」

 

とそこで、ローマについてググっていたら、新しい見解が。

 

昔は一年は10ヶ月だったんだって。

だから3月から数えて7番目となる9月が7を意味するSeptemberなんだって。

 

もう何年も前に、サンスクリット語の数の話をしてたときに”Sapta=7”は何故Septemberなんだろう?

という私の疑問からくんくんが言い出したことで、

 

「ジュリアスとアウグストスをいれたせいでズレたのではないか?」

 

というのが我が家の見解になっていた。

 

くんくんの見解、覆る。

 

そうなんだね、1年はもともと10ヶ月だったんだ。

知らなかった。

 

「新参者は1月と2月だった」

 

JanuaryとFebruaryだけちょっと違うよね~

 

言葉って面白いなと思うけど、くんくんはこどもの頃からずっと言葉について考えているので、私の100倍くらい面白いなと思っているだろう。

 

しかし、こんな話は興味のある人でないとまったく面白いとも思わないだろうから

少なくとも家庭内で”面白いね~”と感心し合えて幸せなくんくんだ。

 

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悟っている

「かわいそうな姫の名前は?」

 

今日のお題はシンプルだけど、瞬発力のいるもの。

 

う~ん・・・

かわいそうか。

悩んでいると

 

「お母さんの考える”かわいそう”のイメージでいいんだよ。」

 

かわいそうと言ったらお父さんやお母さんがいないことかなあ。

 

じゃあ、”無し子”と答えると

 

「果物?」と聞き返される。

梨と勘違いされたようだ。

 

ううん、何も持っていないの無し。

 

「悟っているじゃん。」

 

あ!そうか、これはしまった。

 

アーカーシャ。虚空。

 

究極であった!

 

「至っているなら最高じゃないか。」

 

そうでした。

 

未熟者ヨーギニであります。

 

 

くんくんは「アリエル」と言った。

 

泡になって消える。だそうだ。

 

ディズニーの人魚姫は(観てないけど)たぶんハッピー エンドじゃないか?

 

「そうかもしれないけど、そっちが有名になっちゃたし、

最後はそうなるイメージでしょう?」

 

確かに。

 

続けてのお題。

「ひどい王子」

 

えー、それも難しいな。

 

バイオレンス、と答えるとすかさず「ジャック」とくんくん。

 

永井豪、と二人で口を揃える。

 

この辺はツーカーだ。

 

でもくんくんの求める答えはそれじゃなかったようだ。

 

「アルブレヒト、どう?」

 

確かに!ひどいわ。

 

ひどい王子だわ。

 

バレエをやっている人にしかわからないかも知れないけど。

 

 

「こんな風にお母さんの知っている中で、

その性質から実際の名前を言って欲しかった」

 

しかし、なんでくんくんはそういうことまで知っているのだろう。

 

本当に面白い。

 

説明が一切いらなくてこうやって会話がはずむのは親子だからなのか、

 

それとも興味のあることが同じだからなのか、

 

くんくんが私が興味のあることの中から選んで話を合わせてくれてるのか。

 

たぶん、最後のかな。

 

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何に怖がっている?

コロナを本気で怖がっている人ってどれくらいいるかなあ?

 

くんくんとお昼を食べながら話す。

 

「そう多くはないよ。」

 

だよね。

 

「自分が怖がっていると思い込んでいるのが大半じゃないかな。

 

思い込んでいるだけということに気付いていないだけで。

 

もしも本気で怖いなら耐えられないはずだよ。」

 

だよね。

 

だってもう半年以上になるもの。

 

気が狂ってしまうよ。

 

「本気で恐れているなら、人々はもっと手を洗うだろうし、うがいもするだろう。」

 

「電車にも乗れないし、つり革や手すりにつかまるなど論外だ。」

 

スマートフォンを触ったその手で食事の続きを食べる。」

 

うん。

 

「トイレなんか入れないよ。」

 

そこはもう考えないようにしてるんだろう。

 

 

「恐れているのは、自分がきちんと対応していないと人から非難されるその目だよ。」

 

そう思うよ。

 

 

先日、仕事に行く途中、30分くらい早く着いたので、

 

たまには服でも見ようかな?と思って

 

ショッピングセンターの中のあるお店に入りかけたら、

 

”検温と消毒はお済みですか?”と男性が近づいて来てものすごく驚いた。

 

最初、何を言われたのかわからなくて、2秒くらい考えて、

 

いいえ、と答えた。

 

何だかとても気持ちが悪いと感じて(お店の方には申し訳ないけれど)

 

ココロが拒否反応をしめしたので、それなら見せてもらわなくても結構です、

 

さいなら~~っという感じでその場を去った。

 

 

声をかけてきたお店の人は、そういう会社の方針で、

 

仕事を忠実にしたまでなのだけど、

 

私はたぶん、一般的な感覚とはずれているので、

 

そういう場合は、とうぶんもうそのお店には近づかないでおこう、と決めた。

 

 

「その人は会社に言われたとおりの仕事をしていないと思われるのが怖いからそうしているだけだよ、深く考えてなどいないし、そこに意志はない。」

 

確かにそうだと思う。

 

たぶん、今、日本中の多くの人達がその一連のことを“マナー”だとして頑なに守っている。

 

マスクをしながら手を繋ぐ恋人達

 

電車の椅子に座った服で家に帰って自分の家の椅子にも座る

 

本気で怖がっていたら、家から出られなくなる

 

矛盾に目をつぶって

 

耳を塞いで

 

どんどん人間らしく生きられなくなってくるのが息苦しい

 

風のエレメントは監視や強制が苦手

 

自分が考えて良いと思ったことをして

 

必要ないと思うことはしない

 

そんな国があったらそこに住みたい

 

 

これは逃避である

 

 

今、うっかり普通の風邪もひけない

 

37.5℃超えたら仕事ができないし、お店で買い物もできないので

 

熱が下がらなければ飢えるだろう

 

 

空気が悪くて咳き込んだりしようものなら、眉をひそめてシッシッと

 

されるだろう。

 

 

 

人は気が狂わないように麻痺するようにできている

 

麻痺したくないな

 

これは痛み止めをやたらに飲みたくない、身体の”痛い”というサインをきちんと

 

キャッチして状態を知りたいというのに似ている

 

 

くんくん、キミと話していると本当に落ち着くよ

 

ありがとう

 

 

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目線を下げる

朝、くんくんが自分の水筒の中蓋をブラシでゴシゴシしていた。

 

水道の高さに合わせて膝を折り曲げてとてもやりづらそうだったので

 

背が高いと大変だね、と声をかけたら

 

「これまで自分が背が高いと思ったことは一度もないよ。

 

ただ単に、世の中のものが低い人に合わせて作られているだけだよ。

 

良いことだけどね。

 

上ばかり見ていたら、苦しむ人が増えるから。」

 

朝一番に聞いた、何ともやさしい言葉だった。

 

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アバターラ

今日はくんくんの誕生日だ。

いつもくんくんは誕生日の日は会社を休む。

誕生日くらい働きたくないんだそうだ。

そして、一歩も外に出ないことにしているようだ。

 

もう何年も前から、何をあげたらいいのかわからないのでくんくんが好きなペンギンか、またはうさぎのもの、

または傘や靴などの実用品をプレゼントしている。

 

「ロールケーキが食べたい」

というので、仕事の帰りに買って帰った。

 

たぶんくんくんにとって、何を一番して欲しいかと言えば、

ただ家にいて話をしたり、ゆっくり時間を過ごしたいのだと思う。

 

「一緒にいる時間ももうそんなに長くはないのだから」という。

 

もしもくんくんが何かでこの次元からいなくなるようなことがあったら、

残された親戚、家族のために絶対にばれないような自分そっくりのアバターラを用意してから去るという。

 

そんなことされても、本当のくんくんじゃないならイヤだよ、というと、

 

「すべてのものの幸せを望むものとして、

絶対にわからないようなアバターラを用意することくらいお茶の子さいさいだよ、

見くびってもらっては困る。」

 

なんだかくんくんがそういうのなら、本当にそうするのかもしれないと思ってしまう。

 

でもくんくんはもうすぐどこかへ行ってしまうのだろうか?

 

 

アバターラでもいて欲しいか

アバターラならいないほうがいいのか

 

今はわからないけど、本物のくんくんがどこかで幸せに微笑んでいるならそれが一番良いのではないか。

 

本物のくんくんがそばにいるうちに、生まれてくれてありがとうと、もう一度伝えておこうと思う。

 

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それはプルシャですか?

くんくんが会社に行く前にまた一つ問答。

 

「もしもあなたの能力を表す何かシンボルを考えるとしたら何?」

 

よく聞いていないと、つまり考え事などして話半分に聞かずに、

いないと、答えられない問答が殆どなので、大抵私は

 

え?もう1回言って。

 

と聞き返す羽目になる。

 

他の考え事をしていたので、適当に自分らしい感じで”花”かな、と答えた。

 

「ふうん、そうすると生命力とか成長とか、ってことか。」とくんくん。

 

ちょっと違うなと思ったので”香り”と付け加える。

 

くんくんは何かな?と聞くと、”目”だと言う。

 

「目的は見ることだから」

 

 

え!

 

もしかしてと、ちょっとそれは思い浮かんだけど、まさか。

 

プルシャですか?

 

早朝から結構なインパクトだ。

 

私がやっぱりそうか、やっぱりそうなのかーと騒いでいると、

 

「目は古代よりある強力なシンボルだと思うよ。

 

エジプトでもウジャの目、ホルスの目とかあるし。」

 

ウジャとホルスがなんなのか私は知らないけれど、改めてくんくんに聞いた。

 

くんくんはサーンキヤ哲学を知っているの?と。

 

すると

 

「それを学んだという人は聞いたことがある。」だって。

 

ここにもいますけどね。

 

「重要なのは今まで自分が見聞きしたことがどう自分に影響を与えたか。

 

今更学問など求めていないよ。

 

極端な話、漫画しか読んでこなかった人が真理に達することもある。

 

読み取るべき何かがあるのだから。

 

何を感じ、何を考えるか。

 

こっちの場合はまず結論ありきで、それが正しさを持つにはどうあるべきかを考えてる。

昔からものを考えて伝えて来た人達の中にはそういう人は多いと思うよ。

 

長い年月の中では否定されて来ているでしょう。

 

宗教にしろ、哲学にしろ。

 

思想というものが他人から否定されないと思う?

 

否定されたら正しい理由を考えるでしょう?

 

どうあれば正しくあれるか?

 

そういうことだと思うよ。

 

似た考えが多いのは。」

 

 

そうだろうね、そうだろうね。

 

真理は一つで、そこに行き着く方法はたくさんあって、

 

山の頂点に辿り着くのに、登る方向はいろいろで。

 

でも頂点で合うんだ、それぞれのやり方で登ってきて。

 

だからくんくんの言ってたことを誰かに話すと、

 

家にある哲学の本を読んだのでは?とか、

 

~の本を読んだのでは?

 

と言われることが多いけど、くんくんは中学生くらいから同じことを言っているし、

 

どんなことでも、根本はひとつでゆるがないので、誰かの受け売りではないのは

 

私が一番よく知っている。

 

 

いつも言っているのだ。

 

「大事なのはそのことによって自分が何を感じて、何を考えたか。」

 

「そのことが自分に何を与えたかで、そのこと自体が重要なのではない。」

 

本を読んだとしても、ネットで見たとしても、何かの思想を学んだとしても、

 

誰が何を言ったかではなく、それを知った自分がどうあるか。

 

その、自分で考えるという行為がないなら、それはただ人の話を聞いただけだし、

 

ネットサーフィンで時間をつぶしただけだし、

 

お金を払って知識を得ただけなんだろう。

 

 

上澄みだけすくっても到底真理には到達しないのはそこなのだ。

 

あまりに完全体に近いものが側にあると、

 

自分の未熟さを思い知ることが多い。

 

だから謙虚でいられるのだろうし、ありがたいことだ。

 

 

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