くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

人の目なんかどうでもいいんだ

くんくんは相変わらず花粉症である。

私はどうやら数年前から治ってしまっているようで、時々くしゃみが出たりする程度。

なぜくんくんは治らないのかなあ?と気の毒だ。

本人曰く、偏食のせい。らしい。

 

花粉症で咳が出ることも多い。

くんくんが咳をしていたので

今、咳するとまわりが嫌な感じになるでしょう?と同情すると、

 

「まわりなんか関係ない。

この症状がつらいという事実があるだけだ。

まわりがどう思うかなど心底どうでもいい。」

 

ああ、そうでした。くんくんは特にそうだし、人が思うよりももっとそうなんだ。

 

くんくんはもともと人とあまり会話をしない。

文字は理解するけど、言葉は理解しづらいそうだ。

でもその割に家では私とよく話すよね?ときいてみると

「精神活動は餌だから」

と言う。

 

ん?何の?

 

「強いて言うなら情報収集。」

何の情報?

「望みだけは大きくてそれを叶えることのできない人の願い」

そうか、前にも言っていた。

”持たざるものの願いを知るためにここにいる”って。

同じことだな。

 

「客観には意味を見出していない。

主観だけが全てだから。自分がどうか。」

人の目は関係ないという元の話に戻っている。

 

「なぜなら」

今日はくんくんは自分で話を進めてくれる。

 

「なぜなら、みるものは保障されてないから。

哲学的には自分のことすら保障されていない。

だから自分がどうか、だけだよ。」

 

これはサーンキヤ哲学をちょっと知っている人にはピンとくると思う。

 

みるものとみられるもの

プルシャとプラクリティ

 

たぶん、くんくんはこのことを言っているのかな?と思う。

 

そうだよね、私も大概人の目なんか気にしてなくて、流行などどうでもいいし、みんなと同じが嫌いで、自分がどうしたいか、自分がその状態が好きかどうかで生きて来た。

 

でも、くんくんはそれを100%徹底している。

 

恐怖や不安が人を包むと、一番恐ろしいのはヒトの心理である。

分け合えば足りるのに、集めて回る。

結果、必要なところに届かない。

マイノリティからマジョリティに立場が変わるとたちまち攻撃的になる。

戦争時がいい例だ。

緊急時にヒトがどういう行動に出るか、昔も今も変わらないようだ。

 

人の目はどうでもいいというのは、自分さえ良ければ人はどうでもいいというのとはまったく違う。例えば、人の話に惑わされるなと言うことだ。

 

私はくんくんほどは徹底できないけど、せめて自分の魂にそった生き方をしたいと思う。

くんくんと話をしていると気持ちがおだやかになる。

ありがとう、ここにいてくれて、と思いながらニッコリする。

 

 

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