くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

Mによせて

これから書く話はもしかしたら信じてもらえないかもしれないし、

あなたの想像ですよ、と言われてしまうかもしれない。

でも、私の中では本当にあったことなので書いておく。

 

***

Mとの出会いはとあるバレエスタジオの更衣室だった。

その頃私がやっていたHPには毎日何百人かの人が来てくれていて、

ダンスの話やお花の話をして毎日ネットの中で仲良く暮らしていた。

会ったことのある人、ない人、または見てくれてることも私が知らないで

いる人もたくさんいたと思う。

 

Mはその、見てくれていたけど私が知らない人の一人で、

更衣室でたまたまMは私のHPの話を誰かとしていたらしく、

「Angelさん(私のハンドルネーム)ならそこにいるよ」

と言われて初のご対面となった。

 

それからMはずっと妹のように慕ってくれて、私のやっていたスタジオの

発表会などにも出てくれた。

 

とても可愛い子で、誰からも好感の持てる雰囲気を持っていたので、

私のストレッチの本のモデルもお願いしたし、そのあとも

雑誌の特集などの記事でモデルになってもらったことがある。

 

そんなMとの関係はつかず離れず、ずっと続いていた。

彼女が新しいことをする時、いつも応援していたし、一緒に楽しんだ。

 

彼女が母になり、私がダンスの世界を一度離れ、環境が変わっても

やっぱりそばにいた気がする。

縁のある人というのはそういうものだ。

 

そのMからある日、メッセージが来た。

今ではメールは長い文章以外、ほとんど使っていなくて、ネットをする人達とは

ほぼ、メッセージでのやりとりとなっている。

ちなみに私はLINEはやっていない。

 

「私、癌が見つかりました」

 

衝撃的な内容で、とにかくすぐに電話をして話した。

 

そのあとしばらくして

 

「入院したので会いたい」

といってくれたのですぐに病院に会いに行った。

 

これまで自分からこうして欲しいとか言ってきたことがないので、

こういうときこそちょっと我が儘になって、(自分の気持ちに素直になって)

甘えてもいいんだよと言った。

したくないことはしなくていいし、思うようにしたらいいよ、と。

 

みんなに迷惑をかけていると言うので、そんなことは思わなくていい、

あなただってこれまでにどれだけ人の助けを人知れずしてきたか、

みんな、自分が選んでそれをしているのだし、愛がめぐりめぐっているだけ

だからと。

 

そんな風にして私たちは時々話をし、ベッドから起きられないであろうMに

見せたいなと思う美しい地球の景色を届けたりしていたけれど、

きっとMは私が知ることもできないくらい厳しい状況と闘うように生きていたと

思うし、私は私で、一人になるとMのことを思って泣いたりした。

 

それから季節がひとつ変わって、

Mからメッセージがまた届く。

これはもうここには書かない。

 

Mが息を引き取る前の日に、私は共通の知り合いでMととても親しくしている

人にMのことが気になるのでどんな様子か教えて欲しいと話していた。

 

翌朝、彼女から電話をもらい、Mが亡くなったことを知った。

 

長くなったけど、話はこれからだ。

 

Mの訃報を聞いた私は、誰もがそう思うだろうけれど、もっと何か彼女にできる

ことはなかっただろうか?と悔いるような責めるような感情が起る。

 

何かの時に使っている天使のカード(タロット占いのようなもの)を出して

来て、たった1枚、カードを引いた。

 

出たカードを見て、せき止められていた涙がまるでダムを解放したように

流れた。

”I bring you a message from your deceased loved one”
"I am happy,at peace,and I love you very much.
Please don't worry about me."

 

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このカードはいつだってそうなのだ。

ああ、そうなんだな、と思い、Mのやさしさを知った。

Mとは天使好きなところも共通項だったんだった。

そんな彼女だから天使を使者に使うことはある意味”らしい”のだ。

 

そして心の中で話しかけた。

”この家にあるもの何かひとつ持っていっていいよ。”

あの世へのお守り代わりというか、とにかくそんな気になったのだ。

 

そのあと慌てて、”くんくんだけはダメだよ”と思ったけれど、

Mがそんなことをするはずもないことにもまた気づく。

 

自分なりに彼女とお別れの時間を持ちたいと思い、部屋でキルタンをした。

キラキラと輝く何かが部屋に入って来たので、”あ、Mが来たな”と感じた。

 

誰か近い人が亡くなったとき、または命日などに蝶々を見ることがある。

私はそれを彼女らの化身のように感じている。

 

キルタンが終わりに近づいた頃、一匹のモンシロチョウが部屋の外に来た。

ぶつかりそうなくらい硝子窓の前で何回かぐるぐるとまるでダンスを踊るか

のように回っていて、私にはもうそれはMにしか思えなかった。

 

「来てくれたんだね、ありがとう。」

 

歌が終わると蝶々は空へ飛んでいった。

 

そして、ハルモニウム(キルタンのときに私が使うオルガンのようなもの)を

片付けていて手首が痛くないことに気づく。

 

その数週間前くらいから左の手首がなぜだか痛かったのに。

それは持病のような物で昔やった腱鞘炎のせいなのか、手首を使うことをすると

よく痛んでいたが、その時は理由もなく結構痛かったのでこれは1回レントゲン

でもとらないとダメかな?と感じていたくらいだった。

(私が病院に行こうと思うのだからそれがどのくらいなのか近しい人はわかって

くれるかもしれない)

 

それが、痛くなくなっていたのだ。

そしてハッとする。

Mが持って行ってくれたんだ。

何かひとつ、持っていっていいよ、確かに私はそういった。

あの子はそういう子なんだ。

 

Mがこの手首の痛みを一緒に持って行ってくれた。

私にはそうとしか思えないし、誰かがたまたまだよと言ったとしても

実際にそうなんだから。

 

Mの葬儀が済んで、くんくんにこの話をすると

「この世のすべては既にある事実を見ているだけだ」といった。

 

Mとはまた次に会うと思うし、きっと会ったらお互いにわかると思う。

それまでしばらくゆっくり休んでね。

出会ってくれてありがとう。