多数決
ある人が家の外に出て庭木を手入れしていた。
そこに車椅子のご近所さんが通りかかって、何やら近くの家を取り壊しているのを見に行くと言う。
二人とも自分の家の前なのでマスクをしていなかった。
一緒に見に行くことになり、車椅子を押してその取り壊している家の前に行くと一人の男性がこれまたマスクをしないで何か体操のようなものをしていた。
3人は量らずしてノーマスクのままお話しながら家を一緒に見ていた。
そこへ一人の男性が通りかかって、(彼はマスクをしていた)3人に挨拶をしながらマスクをとってポケットに入れた。
”多数決”
多分、最初の3人も、どこかに出かけるときはマスクをしているんだと思う。
だけど近所で人と話をするつもりもなく家を出て、たまたまそうなった。
最後の人も、みんなに合わせたのではなく、本当は外を歩くのにマスクをするなんてばかばかしいと普段から思っていたのかも知れない。
それで、「ああ、ここではとっていいんだな」とホッとして外したのかも知れない。
こういうことだ。
ヨガでは体の声を聴くという練習をいつもする。
呼吸法などでもその日の体調によって、息苦しいと感じたら無理に続けず、いつもの普通の呼吸に戻して休憩したりする。
息苦しいというのはあきらかに体からの声である。
それを無視して人に合わせたりしないのだ。
酸素が脳を始め、体の隅々まで行き渡らない状態が長く続くことで体の機能は弱る。
最近骨折をする人、怪我をする人が本当に増えているが、酸欠と運動不足による筋力の低下が原因なのではないかと私は思っている。
ストレスによる不調は更に多いから、目に見えない数字はこちらの方が毎日右上がりなはずだ。
そのことがあきらかに健康的ならやったらいい。
だけど、ただイヤだと言うだけでなく、大元の理由付けをちゃんと考えても理不尽な習慣はなくした方が良い。
自分がウィルスを持っているかも知れないので、マスクをすることによって唾を飛ばさないから安心だと思う人もいるでしょう。
そもそも、今、世界的に騒がれているものの正体を根本から考えてみると、答えは出る。
あの検査はそもそもそういう目的では使っちゃダメだと本当の専門家は当初から言っていた。
数字の累計に騙されてはいけない。
数字そのものが不確定要素がありすぎるから。
死とか重大な怪我を含めたら、車の事故の方が断然、圧倒的に危ない。
いろいろなカラクリが多すぎるのも、腑に落ちないな。
去年の春くらいまでは正体の知れないものを遠ざけて防衛していた私が、何故ハッと気付いたかこの前しみじみ思い出していた。
あのまま考えないで世間に合わせていたら・・・
「マスクをしていない人を見るだけで不安になる」
「部屋の窓が開いていないと不安になる」
「人に触られる、触るのが怖い」
これは私の意見だが、こういった不安を常に持ってしまっていること自体が人間として問題なのだということに気付いて、
その不安を作り出したものが何なのか?を更に探ってみると、ストレスはかなり消え去るはずなんだ。
一年半かけて人々は恐怖を植え付けられていった。
人々のやさしさを利用して。
老人や体の弱い人、大きな病を患った人は特に危ないと毎日連呼して。
そんなことは言われなくても、普通の風邪レベルでも、ただの疲労でもそうなのに。
体が弱っているとき、免疫が下がっているときは風邪もひきやすいし、こじらせてしまうと死んでしまう。
私も1回それで死にかけた。
それはわざわざ毎日言うことではないよね。
今は健康なのに、病気を恐れなくてはいけない日々が続くと、元気がなくなってしまうじゃない。
今、ちっぽけな私がここで何を書いても、その岩のように肥大した恐怖の塊は崩せないと感じる。
無力だなあ。
こども達や若者の5年後10年後に想いを寄せる。
それと引き換えに何を大事にしているのか?
小さなこどもがマスクをしているのを見ると胸が痛いよ。
体育の時間にマスクをしたまま走って亡くなった小学生。
こどもは自分で判断できないから、周りの空気を読んだり、大人たちの決めたルールをただ守る。
いい子と言われている子ほどなんだ、それは。
老人が顔を真っ赤にして苦しげにマスクをして杖をついて歩いているのも見るのがつらい。
注射を打てば安心だと信じている人もたくさんいる。
ここでも私はマイノリティだろう。
そうしないと社会生活からはじき出されてしまうように変わっていくのを逆に私は恐れる。
その注射で亡くなったり、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、取り返しのつかないことになる人もたくさんいる。
通常は10年というスパンで人体への実験が必要なのに。
今、世界中で人体実験が行われている。
そういうと聞こえが悪いから違う言い方をしているけど。
田舎の親御さんにも会えないでいる人が多いと思う。
ご本人は来て欲しい、会いたいけど、特に東京からウィルスを持って来た!とばかりに近所の人から噂されるのが怖いから来ないでという人も多い。
もしもそこで病気が発生したら、もうその町には住んでいられないと言う。
「結局人は何を恐れているかというと人を恐れているんだよ」
くんくんは言った。
人間として生まれて来て、いつ死ぬかわからないけれど、今、この瞬間の積み重ねが幸せでいて欲しいなと家族、友人、知らない人だって幸せでいて欲しい。
ありがたいことに、今の私の周りには「真実」とか「自然」とか「自然の摂理」について考えている人が多いので、
普通にこういった話ができるのだけど、そうじゃない人のほうが多いのは知っている。
「多数決の恩恵を受けたことはこれまで一度もない」
冒頭の話をしたら、くんくんが言った。