日曜日の会話
ここのところ家にいないことが多かったので、
「今日は少し時間があるの?」
くんくんが話しかけてきた。
あってもなくても我々はいつも何かしら会話はしているのだけど。
くんくんはブラフマンやインドラの立ち位置についてシヴァを引き合いに出して気の毒そうに、でも面白そうに話す。
「創造主とは・・・」
と言って二人で目を合わせて笑う。
ブラフマンは創造主であり、インドラは天空の神、
古くは最高神と言っても良いくらいなのに、その後の人気のなさっぷり。
久しぶりに家族3人で車で横須賀まで脚を伸ばし、その車内でもくんくんはずっと喋っている。
ご飯を食べる前にいただきますを言う国って日本以外にあるのかな?
とTAROが聞く。
うーん、知らないなあ。
「キリスト教ではお祈りはするかも知れないけど、神がそれを与えてくれたことに
対して感謝してるわけだから、生き物の命そのものに感謝をしているわけではないね。」
「その生き物の命をいただくことに感謝をする。
例えばフランクフルトだったら・・・
豚と小麦とニワトリ(卵)と油で揚げてるから菜種とかその辺の植物の命に感謝をしていただくということだね。」
お昼前にみんなでちょっと食べようと思って買ったフランクフルトを例に出してくんくんが言う。
(それがニワトリならば)
首を切り落とし、羽をむしって、その形にしたのなら、すべて完食すべきだ。
”この世の全ての食材に感謝を込めて 『いただきます!』”
という台詞を食べる前に必ず言う”トリコ”という漫画についてくんくんは、初めてそれを見たときによくぞ書いてくれたと本当に感激したと語る。
そういうことを多くの少年が読む少年漫画で言ってくれたことに関してだ。
こどもに影響を与えることができる漫画。
「こどもが大人になるからね。」
うーん、That's right.。
食育というのがあるが、食べ物となった命に感謝をすることは最初に教えることだと思う。
「だけど普段からそういうことを考えていない人に限って、ことさらにそのことについて大げさに反応するんだ。
それは毎日食べてるんだから当たり前という意味ではなく、感謝するのは当然のことという意味だよ。」
「アイヌなんかは万物に神が宿っていて、食べ物も神がその姿を変えて目の前に出てきてくれたと考えて感謝するから、考え方としてはキリスト教と似てるかもね。」
「ヴィシュヌとも言えるね。」
今度はヴィシュヌのアバターラについてである。
アバターラというのは化身のことだ。
生まれ変わりともいう。
「ダシャ・アバターラ」
たぶん、知らない人が聞いたら、何の謎かけ?と思うだろう。
ああ、ヴィシュヌのアバターラって10人いたんだっけ?
忘れちゃったなあ、何がいたっけ?
ダシャとはサンスクリット語で10である。
くんくんはDecemberはその音から来ているという。
え?12月?
そう思われた方は、昔くんくんが言っていた
” 時の権力者が自分の名前を一年の中にいれてしまったのでずれた件 ”
を思い出していただきたい。
ジュリアスとアウグストゥス。
つまりJuly、Augustである。
それで、10が12にずれこんだということ。
ちなみにナヴァは9。
Novemberのもとになる音。
話を戻して、アバターラ。
クリシュナ、仏陀・・・
「唯一真のアバターラはクリシュナだけだという人もいるし、仏陀は仏教徒からは否定されてるけどね。」
まあ、そうだろう。
しかしよく知ってるな、こやつ。
ヨガのティーチャートレーニングの講師か、っていうくらい・・・
カルキ。
「それ、最後だから。まだ現れてないから。」
「魚、亀、イノシシ・・・」
マツヤ、クールマ、えーとイノシシはなんだっけかな?
「言ってみれば食材かもしれない。亀はどうかと思うけど。」
そうこうしているうちに家に戻ってきた。
私が興味ありそうな話題を選んで話しかけてくるのだろうが、まあ本当によくいろんなことを知っていて面白いことこの上ない。
けれども数日前に ”見切れている” という言葉についてちょっとくんくんが勘違いをして使っているようだったので、見切れているっていうのは、見えちゃいけない人や物がちょっと見えちゃってることだよ、と教えてあげた。
いわば業界用語だ。
例えば、舞台とかでまだ出番じゃない人が袖幕の裏で待ってて、それが客席からちょっと見えちゃってること。
TVなんかでカメラのアングルの中に、出演者以外のスタッフとかが写っちゃってること。
するとくんくんはとても素直に
「知らなかったことを教えてくれてありがとう。」
と言った。
外国語と日本語のExchangeでよく”Thank you for let me know”は言うし、言われるけれど家族に日本語で言われるととても新鮮だ。
無知であることをとても嫌うくんくんにとって、知識というのは本当に大切なものなのかも知れない。