不幸などこの世に存在しない
くんくんはいつも言う。
「この世に不幸など存在しない」
「生きるものは皆、自分の欲求によってやりたいように生きている。
それはすべて自分が選んでそうしているからだ。」
そうなんだろうと思う。
でもくんくんは幸せそうであったことがないようにみえる。
親としては、こどもがどんな風であっても、笑って暮らしてさえいればそれでいいと思うのだが、くんくんはどうも生きづらそうだ。
世の全てが幸せであるのが当然なので、そうでないのが我慢ならないらしい。
しかしそれは不幸ではないという。
ただ、”気に入らない”のだと。
みんな信じているものが同じなのに、なぜ争うのか。」
湾岸戦争 the Persian Gulf War など、アメリカの介入で私にはもうわけがわからないし、エルサレムに住みたい人が住めばいいじゃないかと思うのだが、どうしたらいいのか途方に暮れる。
どうしたら良いと思う?
とくんくんに聞いてみる。
いつものようにくんくんが簡単なことだよ、と言って顔を見る。
「争わなければいいんだ」
くんくんにそう言われると一挙に解決したような気になるが、究極にはそれが真理なのだろう。
ヨーガ・スートラの話になるが、パタンジャリはこう書いている。
duhkham eva sarvam vivekinah
賢者にとってすべては苦のみである
また、仏陀も一切は苦であり、一茶は無常であると言っている。
体も感覚も、苦に導くもの、楽のあとに苦がある。
だからそれを超えたところに行くのがYOGAなのだ。
快があれば不快はセットだ。
嬉しい、楽しいを享受していると、それを失うことが惜しくなる。
または失った時に不幸だと感じる。
あえてつらい、逆境を与えることでそれは本当ではないのだ、それを超えて行くのだ、と気付かせるのだ。
超えたところに、喜びがある。
至福と表現されることもある。
一つ上の次元にあるもの。
嬉しい、楽しいにも執着せず、手放せるかどうかが、当面の私の課題なのだろう。
それは幼い頃から、目の前のものはいつかはなくなるものとしていつも過ごしていた感覚が教えてくれる。
同じものは二度ないし、すべて毎回新しい。
友達と別れたときの気軽な”またね”も、厳密に言えば、ない、のだ。
不幸と思えるようなことも、実は幸せの隣にある同次元のものなのか。
だから、くんくんに言わせればこの世に不幸など存在しないのか。