見ることが許されていないもの
くんくんは運命論者だそうで、私と同じくどの宗教にも属していない。
先日、アメリカ人の友達と死んだあとのことについて話した。
”Last Judgment”だったか”Judgment day”だったか忘れてしまった
けれど、それを信じるかと聞かれて、
昔は天国とか地獄とか信じていたけど、
今は、死んだら、この体がなくなって魂が解放されたら、
水滴の一粒が海に帰っていくように、融合されるのかなと
思っている、と答えた。
何に(融合)?と聞かれたので空を見上げて「everything」と言ったら、
私の言う意味を理解してくれたように感じた。
そんな話をくんくんにしたら、
3つの考え方があって、1つは「おかえりはあちら」と
その”個”のまま、また最小分子まで分解して創り替えるのか。
1つは分解して、足りないものはその辺にあるものの中から
選んでつぎ足して創り替えるか。
もう1つは、死んだらいったん世界に返して新しく創る。
1つめの考え方だったら、じゃあお母さんは死んだらスミレにはなれないの?
と聞くと、「組み替えて創れないなら他の素材から持ってくればいい。
3つの考え方がみんな存在していると思っているよ。」と言った。
「リソースの総量が決まっているのか、追加分があってもいいのか
を決めるのは信仰の問題。
つぎ足しができるなら仏教だよね。
そうじゃないと魂のランクを上げることができない。」
ああ、そうか、じゃあヒンズー教もそうだね。
「輪廻の中でレベルアップしていくならそうだね。」
”分解”という言葉の時に、くんくんはまるで大理石の台と麺棒で
スパイスを砕くような仕草をした。
どこまで分解するのかと聞くと、
「だから構成分子の最小単位だよ。」
素粒子?
「そう。」
ふうむ。
世の中には、見えないものがあるという。
それは「見ることが許されていないもの。
知ることができない概念。」
「一生生きてみて、ただの一瞬も思い至らなかったとしたら、
それはその人にとって見ることが許されていないものなんだ。」
許す、って誰が一体許すの?とふと思う。
「事実が許す。
そこに意志はない。
ただそうであるという事実があるだけだよ。」
最初に書いたように、くんくんは運命論者だ。
「そうなるようになっているなら、いつかどこかのタイミングで
知ることができるだろう。」
私は知ることをどこまで許されているんだろう?