くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

悪人などいない

くんくんは小さい時からごめんなさいが言えない子だった。

どんなに厳しく叱っても、理由を分かるように説明しても
「ごめんなさい」と言えなかった。

それでも、そのあとでご機嫌をうかがうように親切にしてきたりしたし、

二度と同じ事はしなかったので、彼なりに反省したりしているのかなと

思っていた。

「非難されたというだけで、謝る気がしなくなるけど、その
あと気をつけて同じ事は繰り返さない。」
自分の気持ちが言えるような年齢になってから言っていたけど、

やっぱりそれではいけないと思う。

10歳くらいかな、ちょっとしたことがあって、くんくんを叱った。

すぐにくんくんに、「ごめんねは?」と聞く。

いつものように目線をそらして、固い顔をするので、
「お母さんは嫌な気持ちになったんだから、こういう時は
ごめんね、って言うんだよ。」
と言ったら、口を開かないで(唇を合わせたまま)
○○○○と言った。

それが今のくんくんの精一杯なのだと思ったので、
「今度から気をつけてね」と言って終わりにした。

ぶん殴って、脅かして、無理矢理「ごめんなさい」を言わせ
たとしても、それが何になろうか。

悪いのは悪い。

大事なのはそれを認めることで、認められたら、今度は
相手があるならその人の身になってみる。

自分からごめんね、が言えたら、おそらく救われるのは自分自身なのだ

と思ったから。

ごめんね。
うん、いいよ。

ごめんねを言うのは負けじゃない。

ごめんねを言わせてもらえない時だってある。

それは相手がもう自分の目の前から消えてしまった時。
謝って欲しくないと自分自身を拒否された時。

ごめんね。
うん、いいよ。

言える相手がいて、聞いてくれて、いいよ、と許してくれる
ことは救いなのだ。

私も今まで生きてきてたくさん人を傷つけてきたと思う。

でもほとんどはごめんねを言えていない。

それは一生の心の重りだ。
言った罰だ。 

 

しかし、くんくんがもっと大きくなってからなぜこどもの頃から

ごめんねができなかったのか、やっとわかった。

 

「この世に悪など存在しないから」なのだ。

 

悪人などいない。

これがくんくんの答え。

 

「悪意」もまた存在しないという。

「みんな誰もが自分が幸せになりたいからそうするのであって、悪意をもって

するのではないと。

幸せになる方法や状況が人それぞれで違うだけで、人はみんな自分がしたいと

思うように生きている。」

 

「いや、やりたくないことをやらされているけど、という人もいるだろう。

が、それはやらなかったときにもっと面倒なことになるからやることを

自分で選んでいるんだよ。選んでいるのは自分なんだよ。」

 

あやまったほうがその場がうまくいくからそうすることも大人になってからは

あるそうだが、芯から悪いと思っているわけではないと。

生まれてこの方、悪いことなどしたことがないというくんくんは

すごいなと、ただ思う。

 

くんくんの哲学でいえば、私は誰かを傷つけようとしていったわけではないから

罪ではないし、罰と思わなくていいんだということを今気づく。