瞑想が必要
「永久不変のものがあるとしたら、それは唯一、存在しないことだ。」
という言葉がよぎる。
くんくんからこれを聞いたときは、
「確かにまあ、そうなんだが・・・」
と思っただけでふ~んと流してしまったけれど。
「二元論的多元論」で移り変わる物が変化をしなくなったときに
精神世界が現れる。
それってこのことか・・・
全ての生き物が幸せになるなら、それぞれに一つ、世界があること。
そんなこともくんくんは何度となく言っていた。
あ、それって二元論的多元論?
プラクリティは唯一だけど、プルシャは生き物の数だけある。
また、「言ってみれば自分は神のようなもの」
とも言っていた。
さすがにそこまで言うと、
よその人が聞いたら誤解するんじゃないか?
とその時は思ったけれど、
ヨガの思想を借りて説明すれば、それは一つの考え方であり、
その世界では、ブラフマ、高次の自分、つまり、我は神なのだ。
え、くんくんの言ってた意味ってこれか、とまた驚愕する。
ヨガの修行の段階で、
「人の物を盗まない」というのがある。
それは、形あるものだけでなく、知識であり、言葉であり、時間でもある。
ネットで簡単に人の文章をコピペできたり、画像を保存したりできるので、
それが盗みだということの認識が甘い世の中になっているかもしれない。
自分だけの心の中にしまっておくのは自由であるが、ネットにあげた時点で
それは一人歩きしてしまう。
くんくんに勢い込んでその話をすると、
「待ち合わせをして人を待たせてしまうのは、その人の時間を盗むこと。
時間=寿命ともいえるよ。
例えば、学校の遠足とかで遅刻して大勢の人を待たせていたら、それは何人分の
寿命を奪っているか、考えたことある?
自分がいつも時間よりも30分余裕をみていくのは、迷うことも想定してるけ
ど、人を待たせるのが苦痛だからよ。」
そんな答えが返ってきた。
中学生くらいの時に、そういうことを思っていたのだからひっくり返る。
本当にこともなげに
「誰でもちょっと考えたらわかることだよ。」と言う。
人間は考えることができるのに、考えないでいるのは罪だとよく言っていたけれ
ど、いつもいつもいろんなことを考えて、自分なりに答えに行き着くまで、
考えるんだろう。
いつの世も、哲学一本で食って行けてる人間はいないよ、とくんくんはいう。
本気で哲学一本で食っていこうとするならば、教祖になるしかない、らしい。
我が家の哲学者にヨガってなんだと思う?と聞いてみた。
「ヨガは自然と一体になろうとしているんじゃないかな。
いろんなポーズを見ていると、自然界にあるものだから。
木だったり犬だったり。」
おそるべし。
確かにそうだ。
そして最後にこういった。
「迷いがなく、進むべき道が決まっているなら、瞑想は必要ないんだ。」
お母さんは、まだまだ迷ってばかりなので、瞑想が必要です。