くんくん哲学と修行中ヨーギ

哲学者くんくんと修行中ヨーギの日常会話

元いた場所

現代の医学は、ただ肉体への執着で生かされているのではないか?と思われる
状態でも死なせてくれないという話しをしていた。


だけど実際に、くんくんがもしも植物人間になった時、
そのチューブを外して下さい、機械を止めて下さい、と言えるだろうか?


肉体はこの世の借り物。
魂は永遠。

そんなことを学んで伝えているのだから、納得してそう言えるのだろう、

と私が言うと、


「もしも、自分を騙すと思っているなら向いてないよ。」
とくんくんが一言。

いや、騙すとは思ってないし、納得か理解か。
向いていないというのは、その道を選ぶことという意味なんだと思うけど。

更にくんくんは言う。

「死はむしろ、喜ばしい。」


くんくんにとってこの世はとても生きづらいのだと思う。
魂を体にいれるために、ギュッと圧縮、フォーマットしている、と形容していた。

くんくんは死んだらどこへ行くの?と聞いてみた。

「元いた場所だよ。」

即答するのは、常にそれを考えているか、以前、考え抜いて答えをみつけたからだ。

元いた場所ってどこ?

「いうならば、すべてにほどなく近いところ。」
ヴィシュヌか!きみは。

私たちの間でしょっちゅう会話に出てくるこのヒンドゥー教の神様は、
”あまねく満ち渡る”という意味があり、いろんなところにいる。


昔・・・といってもくんくんが高校生くらいの時だったか、死んだら何になりたいか?という会話の中で、「しいていえば、概念」と答えたくんくん。


その思考はぶれない。 

しも、もしも、くんくんが私よりも先に死を迎えたとしても、

くんくんがやっと本来の自由な姿に戻れたと、喜べるか。


くんくんの魂をいれるには、小さすぎる肉体。
もう会社にも行かなくて良いし、人として生きる苦痛から解放される。

そして、くんくんはいつもそばにいる。
空気のように。
ヴィシュヌのように。

きっと会話も出来ると思う。
声に出さなくても、思うだけで、どこからか明確な答えが降ってくるのだと思う。
いつものように。

だけど、やっぱり触れたりしたいし、同じ家で家族として一緒に暮らせる時間を
大事に大事にしたい。
 

 

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