前世はヨーギだったのか?
くんくんの話をしていたら私のヨガの先生が言った。
「誰に教わるでもなく、小さい頃からもう既に知っている人は、前世それをしてた人だと思う。」
なるほど、そう思うと合点がいく。
たぶんくんくんはヨガの修行を一度終えた人なのではないか?と思う。勝手に。
くんくんがまだ学生の時は、くんくんがこう言ってたと話すと
「誰かの受け売りではないのかな?」
「何かの本に書いてあったのでは?」などと言われることもあったけど、
そうではなく、本人の中から出てきたものだというのは私が2番目に知っている。
ちなみに1番はくんくんだ。
ヨガ哲学を学びだしたばかりの頃、プルシャとプラクリティについて、どう解釈したら一番腑に落ちるのか考えていた。
精神原理であるプルシャと物質原理であるプラクリティからなるというサーンキヤ・哲学の二元論的な考え方は古典ヨーガの根源である。
そうだ、くんくんに聞いてみよう。
くんくんは片方の口元を少しだけ上にあげて「わからないなら教えてやろう」みたいな顔になった。
「ここにサイコロがあるとする。
そのサイコロの目の1と2だと思えばいい。
自分が1で相手が2。同じサイコロなんだから、自分も相手もないんだ。
その1の面の、例えば文字のインクの部分とかっていうほうへ考えていくのが
細部に向かう方。
逆に、サイコロが入っているおもちゃ箱、はたまたおもちゃ箱のあるこども部屋、
その部屋がある家、その家の建っている土地。地球、宇宙へ。
そして最後に行き着くのが運命」
くんくんは運命論者なのだそうだ。
習いたてで自分の中で整理できてなかったことや、初めて知って驚きやちょっとした
感動をもってくんくんに話すと、
「そうだよ、ちょっと考えればわかることだよ」
と簡単に言われる。
その説明はとてもわかりやすく、こいつは何者なのだ?といつも思う。
くんくんはヨガをしたことがないので、その用語は知らない。
でも、言葉こそは知らなくても常に即答。真理は自分の中にある。
「因中有果論」の話をすると、
「そうだよ、原因=結果でもあり結果=原因ともいえる」という。
そういえば昔からそう言っていたよなと気づく。
因中有果論とは、原因の中に既に結果があるという考え方だ。
「思考に関してはあなたよりも年季が違いますから。」
とくんくんはいう。
くんくんが今のような考え方をだいたい確立させたのは高校生くらいらしい。
考えはじめたのは小学校高学年くらいからだと言っていった。
たぶん、世の中はなぜ良くならないのだろう?的なことから始まったと記憶している。
赤ちゃんの頃からクールで変わったこどもだったけれど、うちに生まれてきてくれて本当に感謝している。
グルなのか?くんくんは。